境内の北西隅に七基の石造層塔が並んでいます。近くには多数の五輪塔やその部材が集められており、古来より頼朝公の供養塔と伝えられてきました。このうち二基に「弘安十年(1287)比丘尼某」と「永仁四年(1296)比丘 尼/惣厳御往生」等の刻銘があり、初重軸部南面には、舟形光背と蓮華座を具備した二仏並座が浮彫りされ、
(ア)や(アン)(アク)等の種子が陰刻されています。
石質は五基が凝灰岩で二基が花崗岩、軸部と屋根が別石の多層式と屋根の上に上重の軸部を削り出した多重式の二種類があります。